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越前若狭歴史回廊・別館[観光のふくい

エピローグ ~旅に病で夢は枯野をかけ廻る~

0601-00.jpg義仲寺
 旅を終えた芭蕉は、京、近江などにしばらく滞在したのち江戸に戻り、推敲に推敲を重ね『おくのほそ道』を脱稿した。

 元禄7年、芭蕉は伊賀上野に帰郷したが、9月8日大坂に向かった。体調は良くなかったが、大坂の有力門人2人の仲を取り持つための来坂であったとされている。
 大坂では住吉大社を参詣し、句会に参加するなどしていたが、その後病状が悪化、花屋仁右衛門方離れ座敷に病臥し、10月12日夕方没した。

  旅に病で 夢は枯野をかけ廻る

が辞世の句となった。51歳であった。終焉の地の御堂筋には石柱が建てられ、また道路を挟んで向かいにある難波別院(南御堂)には芭蕉の句碑が建立されている。

 遺体はその夜舟で現在の土佐堀川を上り、遺言に従い近江の義仲寺に運ばれ、木曾義仲の墓の隣で静かに眠っている。

 昭和9年『おくのほそ道』素龍清書本が、敦賀の西村家で確認された。素龍清書本とは芭蕉が書家の柏木素龍に依頼して清書したもので、芭蕉が身に着けていたものである。芭蕉の没後、家人から門人さらにその関係者の手に移り大事に守られてきたものである。

0601-01.jpg芭蕉終焉の地碑
0601-02.jpg難波別院(南御堂)
0601-03.jpg御堂 芭蕉句碑
0601-05.jpg義仲寺 芭蕉墓
0601-06.jpg義仲寺 芭蕉句碑

【芭蕉終焉の地】

【大津/義仲寺】