敦賀にて
気比社芭蕉像
14日夕方敦賀に入った芭蕉は、唐仁橋の出雲屋に宿をとる。
その夜は快晴で月が美しく「あすの夜もかくあるべきにや」と宿の主人に尋ねたところ、主人は芭蕉に酒を勧めながら「越路の習ひ、猶明夜の陰晴はかりがたし」との答えたとされる。
天気がいいのでその夜は、気比社を参詣し、月光に照らされる白砂を見て、「月清し遊行のもてる砂の上」と詠んでいる。これは正安3(1301)年に、時宗(遊行宗)2世他阿真教所上人が諸国巡錫のおり敦賀に滞在、上人自らが先頭に立ち浜から砂を運んで気比社の参道を整備した故事に因んでのことである。
現在気比社には芭蕉の像や句碑があり、近年道路を挟んだ向かい側には「遊行上人お砂持ちの像」が建てられた。また芭蕉が宿をとったとされる出雲屋の跡(敦賀市相生町2番地)の歩道には石碑がある。芭蕉が、主人弥一良に記念として杖と笠を残したが、残念ながら杖しか現存していない。
次の日は、宿の主人の言ったように雨となったたようで、
名月や 北國日和 定めなき
と詠み、十五夜の月が見られなかったことを残念がっています。
この日の日中は、金ヶ崎の金前寺で遊興した。
本隆寺
次の日、天候が回復したため芭蕉は、西行法師ゆかりの「ますほの小貝」を拾おうと、色ヶ浜を舟で目指します。「十六日、空霽れたれば、ますほの小貝ひろはんと、種の濱に舟を走す。海上七里あり。天屋何某と云ふもの……。」とあります。
天屋何某とは敦賀の俳壇で活躍していた室五郎衛門のことで、居宅跡(蓬莱町14番地)は現在駐車場になっており、「おくのほそ道天屋玄流旧居跡」と書かれた標柱が残されています。
色ヶ浜では本隆寺に泊まり、「濱はわづかなる海士の小家にて、侘しき法花寺あり。爰に茶を飲み酒をあたゝめて、夕ぐれのさびしさ感に堪へたり。」と記し、ものさびしげな夕暮れの風情を
「寂しさや須磨にかちたる濱の秋」
「浪の間や小貝にまじる萩の塵」
と二句詠でいます。
また、この日の様子を等栽に書かせて残し、これは敦賀市指定文化財として寺に現存している。
色ヶ浜集落と本隆寺には敦賀市内から、気比の松原とおり敦賀半島を北へ車で約20分ほど進みます。集落の入口付近で海岸沿いの道に降りると、本隆寺が左手に見つかります。境内には芭蕉の句碑もが建っています。本隆寺前の小さな浜辺が色ヶ浜です。
本隆寺で1泊し、翌17日敦賀に戻った芭蕉ですが、迎えに来た路通ともに18日敦賀から結びの地大垣へ向って旅立った。
【出雲屋跡】
【本隆寺(色ヶ浜)】