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越前若狭歴史回廊・別館[観光のふくい

府中~今庄


0401-00.jpg鶯の関碑
 その後芭蕉は、北陸道に沿って鯖江、府中(武生)を通ったはずだが、この付近については『おくのほそ道』に特別記載はない。この府中から湯尾峠、今庄、そして敦賀までの旧北陸道も大体残っており、一部狭い区間はあるものの車の通行が可能である。

 まず現在越前市となっている府中市内(旧武生)。旧北陸道が中心部を南北に縦断している。郊外型ショッピングセンターの影響で、かつての繁栄振りはないが、今も古い家並みが残っており、老舗の風景や看板を見ながら通過すると良い。

 府中からは、今の南越前町(旧南条町)関が鼻にあったとされる「鶯の関」の碑を見て、湯尾峠に向かう。
 「鶯の関」は南条駅前を過ぎ、関が鼻の集落にはいる直前の街道沿いに、大きな自然石に書かれた碑が建っているので見逃すことはない。
 湯尾の集落を過ぎると湯尾峠の入り口につく。
 ここからは車で無理で、徒歩で峠越えとなる。車を麓に駐めて山道を登ることになる。山道はきちんと整備されていて往時の雰囲気そのまま伝えている。10分もすれば峠に着くが、頂上は広場になっており、案内板なども設置され、芭蕉が峠を訪れた時に詠んだ

  月に名を つつみかねてやいもの神

の句碑が設置されている。
 今はその片鱗もないが、江戸期には4軒の茶屋と疱瘡で有名な孫嫡子神社で賑わったところである。ここを下ったところが今庄である。
 車までは、現在の整備された道を通り戻ることになるが、それほど時間はかからない。

0401-01.jpg戦前の府中風景
0401-02.jpg関ヶ鼻から日野山方面を見る
0401-10.jpg湯尾峠登り口
0401-11.jpg湯尾峠
0401-12.jpg湯尾峠芭蕉句碑


0402-00.jpg燧ヶ城主郭跡
 湯尾峠の先が今庄宿である。
 今庄は、歴史的建造物がよく保存されていて、時間をとって散策を楽しみたい地域である。今庄の西方の藤倉山東端の愛宕山(260m)に『おくのほそ道』にでてくる燧ケ城の跡がある。この地は四方を山に囲まれ、麓は日野川と鹿蒜川が流れる天然の要塞で、源平合戦の古戦場跡である。燧ケ城の主郭跡には城址碑が建立されており、見晴らしもよく今庄を一望できる。時間に余裕があれば、頂上まではそんなに時間はかからないので登ってみてください。

 歩みをさらにすすめると帰(鹿蒜)地区となる。静かな山里の集落を過ぎると、いよいよ、北陸道の難所木の芽峠へ向かうことになる
 芭蕉は、今庄から帰(鹿蒜)の集落を通って、難所の木の芽峠越えで敦賀に入っており、

「鶯の関を過ぎて、湯尾峠を越ゆれば燧が城、かえるやまに初雁を聞きて、十四日の夕ぐれつるがの津に宿をもとむ。」

と記している。

 木の芽峠は二ツ屋の集落をすぎて、旧街道沿いに山道をいってもいいが、現在は峠付近一帯にスキー場が整備されたため、車の場合は旧北陸道から外れ、国道365号を通り板取に出て、スキー場内を通り、峠へ行くのがよい。
 この峠は、織田信長軍と一向一揆が激突した場所でも有名で、芭蕉だけでなくその他多くの歴史的人物が通った峠であることを思い起こし、時間を忘れて歴史ロマンの世界に浸るのもいい。

 木の芽峠から敦賀までは、歩いてみたい道のりですが、車は当然通行不能の山道で、一旦スキー場を下ります。国道365号を南に向かうとすぐに分岐点があり、進路を敦賀側(国道476号)にとり、トンネルを抜けると、峠の敦賀側集落である新保に出る。さらに葉原、樫曲をへて敦賀市内に向かうことになる。
 峠を歩く場合は、下った先からこのトンネルを通り、元の車の位置に戻ることになるが、湯尾峠の場合よりも少し時間がかかるので、あらかじめ余裕を見ておくことが必要となる。
 なお新保では、芭蕉とは関係ないが、幕末水戸の天狗党が最後に陣を敷いたところであり、本陣跡が敦賀市指定史跡となっている。数分で見学できるので、国道476号から少し寄り道をして集落内に入り、見ておくことをお勧めする。

0402-01DSC06538.jpg今庄宿風景
0402-02.jpg燧ヶ城登山口
0402-03.jpg燧ヶ城から見た今庄風景
0402-10.jpg鹿蒜神社
0402-05.jpg木の芽峠

【湯尾峠】

【今庄/燧ヶ城】