番外編 出発の地と結びの地
採荼庵跡
芭蕉が『おくのほそ道』紀行のため、隅田川と小名木川の合流地点の岸辺に在った芭蕉庵を整理し、海辺橋の南詰の採荼庵に移ったのは元禄2(1689)年の2月末であった。そして、翌3月の27日、見送りの門人とともに仙台堀に浮かぶ船に乗り、隅田川をさかのぼり、曾良とともに千住から奥州へと旅立った。
矢立の地である千住、大橋の岸には小公園があり、「奥の細道矢立初めの地」という石柱や案内板等が建てられている。また川岸に降りると堤防を利用して蕪村の芭蕉絵なども書かれている。
千住大橋の手前には素盞雄(スサノオ)神社がある。境内には芭蕉が旅立った元禄2(1689)年からおよそ130年後の芭蕉忌に建てられた「奥の細道」旅立ちの記念碑がある。
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結びの地碑
「おくの細道」結びの地である大垣には、8月21日頃に到着している。
「駒にたすけられて、大垣の庄に入れば、曽良も伊勢よりかけ合ひ、越人も馬をとばせて、如行が家に入り集まる」
と記している。
大垣では、多くの門人・知人がけつけ、病気のため加賀の山中で別れた曽良ともここで無事再会を果たしている。
大垣の船町湊とその周辺のゆかりの地には「むすびの地記念館」をはじめ多くの碑が建立されている。
その大垣にも芭蕉は長く逗留することはなかった。9月6日伊勢神宮の遷座式参拝のため、木院亭の前(結びの地公園)から舟に乗って揖斐川を下っていった。
「蛤の ふたみに別 行秋ぞ」
この句で『おくのほそ道』は閉められている。
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【千住付近】
【大垣結びの地】