「おくのほそ道」の追体験
「月日は百代の過客にして行きかふ年もまた旅人なり。舟の上に生涯を浮かべ、馬の口をとらへて老いを迎ふる者は日々旅にして旅をすみかとす。古人も多く旅に死せるあり。予もいづれの年よりか、片雲の風に誘はれて、漂泊の思ひやまず、...」
誰もが知っている松尾芭蕉の『おくのほそ道』の冒頭。江戸から東北、さらに日本海側へ出て北陸を経て結びの地大垣までの約5ヶ月、600里におよぶ『おくのほそ道』大紀行。
その越前での行程を、追体験してみよう
芭蕉が大聖寺の全昌寺を出立して越前に入ったのは8月9日頃と推定されている。
江戸から加賀まで同行してきた曾良が、体調不良のため行程を早めて出発したため、越前には金沢の北枝を伴って来越した。
越前紀行
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番外編 旅立ちと結びの地
芭蕉が『おくのほそ道』紀行のため、隅田川と小名木川の合流地点の岸辺に在った芭蕉庵を整理し、海辺橋の南詰の採荼庵に移ったのは元禄2(1689)年の2月末であった。
600里におよぶに及ぶ旅を終え、結びの地である大垣に到着したのは8月21日頃であった.....
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このサイトについて
本サイト《おくのほそ道・越前紀行》は、越前若狭歴史回廊・別館《観光のふくい》の一部として制作したものです。今後特定のテーマ別に福井の観光を紹介していきます。
なお、本サイトは『Chamber/福井商工会議所報』2010年1月号の掲載記事に補筆し、写真を追加したものです。無断転載はお断りします。
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